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岐阜地方裁判所 昭和37年(ワ)330号 判決

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 奥嶋庄治郎

右訴訟復代理人弁護士 寺沢弘

被告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 林千衛

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、別紙目録記載の各不動産につき、それぞれ四分の一の共有持分移転登記手続をせよ。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、

一、原告は、訴外甲野次郎と共に訴外甲野みわの養子であるが、昭和三五年二月七日同人の死亡により原告ら二人がその相続人となったので、原告は、遺留分としてその財産の四分の一を受ける権利を有している。

二、ところで、亡みわは、その所有にかかる別紙目録記載の各不動産(以下本件不動産という。)を被告に遺贈し、被告は、岐阜地方法務局昭和三五年一〇月一日受附第二〇五一七号を以て右不動産につきそれぞれ右遺贈に因る所有権取得登記を為した。

三、しかしながら、前記相続開始当時、亡みわには本件不動産を除いては他に何等財産がなく、また債務もなかったので、原告はその遺留分を保全するのに必要な限度、すなわち四分の一の限度において右遺贈の減殺を請求する権利がある。

四、そこで原告は昭和三六年一〇月下旬、被告を相手方として岐阜地方裁判所に対し、右遺留分減殺請求権を被保全権利とする本件不動産についての処分禁止の仮処分を申請し、減殺の意思表示をした。したがって前記遺贈は、その四分の一の限度において効力を失ったので、被告に対し、本件不動産について右四分の一の共有持分移転登記手続を求めるため本訴請求に及んだ と述べ、被告の抗弁一、の事実は否認する。同二の事実中、原告が昭和三五年二月九日、本件遺言について説明を受けたことは認めるがその余の事実は否認する。なお原告は、はじめ、同抗弁事実中、亡みわの死亡当時、同人の死亡により自己のために相続が開始したことを承知していたこと、原告が被告主張の頃、本件不動産につきその主張のごとき各登記をしたことを認めたが、それは真実に反する陳述で錯誤に基いてしたものであるからその自白を撤回して否認すると述べ、原告が減殺すべき本件遺贈を知ったのは昭和三五年一一月二九日である。すなわち、前記昭和三五年二月九日に受けた遺言の説明によるも、法に疎い原告としてはこれにより原告の遺留分が侵害されたということを知る由もなかったところ、その後、岐阜家庭裁判所より前記次郎と被告との間の同裁判所昭和三五年(家イ)第二〇七号事件について呼出を受け、同年一一月二九日、同裁判所に出頭した際、調停委員より本件遺贈により原告の遺留分が侵害されている旨説明されたので、ここで初めてその事実を知った次第である。従って本件遺贈の減殺請求権の時効は同日から進行を始め、前記昭和三六年一〇月下旬にした仮処分申請当時は未だ時効は完成していないから被告の時効の抗弁は理由がない。同三の事実中、原告が被告と親族の間柄にあることは認めるが、その余の事実は否認すると述べ≪立証省略≫た。

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁並びに抗弁として原告主張の請求原因一、二の事実、同三の事実中、相続開始当時、亡みわには本件不動産を除いては他に何等の財産もまた債務もなかったこと、同四の事実中、原告がその主張の頃岐阜地方裁判所に対しその主張のごとき仮処分申請をしたことはいずれも認めるがその余の事実は否認する。

一、原告は、前記みわから昭和一二年頃、岐阜市日ノ出町一丁目一八番宅地二〇坪、また昭和一五年頃、同町二丁目三番宅地一六坪八合の各贈与を受けているが、これは民法第九〇三条にいう特別受益とみるべきものでその価額は遺留分算定の基礎となる財産の価額に算入さるべきところ、右価額は本件不動産の価額の二倍ないし三倍にも相当するので、本件遺贈によって原告の有する四分の一の遺留分は何等侵害されたことにはならない。

二、かりに原告の受けた右贈与が特別受益に当らないとしても、原告の本件減殺請求権は時効により消滅している。すなわち、本件遺贈は公正証書遺言によりなされたものであるが、同遺言は昭和三五年二月九日、原告も同席した遺族、親戚の者一同の会合の席上においてその内容が明かにされたところ、原告は、これに対し格別異議を唱えなかった。ところで原告は、もとより亡みわの死亡当時、これにより自己のために相続が開始したことを知っていたものである(原告は昭和三五年八月二日、本件不動産につき、相続或いは保存の登記をしている)が、前記遺言書の開封により、被告への本件遺贈が減殺すべき遺贈であることも知った筈であり、また(かりに減殺請求権の発生の認識まで必要だとしても)法に明るい原告は、かかる点も充分承知していたものである。してみると、原告の本件減殺請求権は、右昭和三五年二月九日から一年を経過した昭和三六年二月九日にすでに時効により消滅したものであり、原告は右時効を援用する。

三、かりにそうでないとしても、前記贈与はみわ夫妻からの原告に対するいわゆる「分け分」であることは違いがなく、しかもその価額が前記のごとく本件不動産の二倍ないし三倍にも相当するものである点を考えると、すでにかかる「分け分」を得ている原告が本件減殺請求権を行使するがごときことは、信義の原則あるいは親族間の互助の原則(被告は前記次郎の実子であり、原告とは親族の間柄にある。)からするも権利の濫用として許さるべきではない。と述べ、原告の自白の撤回には異議がある旨述べ≪立証省略≫た。

理由

原告及び訴外甲野次郎が訴外甲野みわの養子であり、昭和三五年二月七日、みわの死亡により右原告ら二人がその相続人になったこと、訴外みわが本件不動産を所有し、これが同人の全財産であったところ、これを被告に遺贈したこと、本件不動産につき、原告主張の日にその主張のごとき所有権取得登記がなされたことは、いずれも当事者間に争がない。

被告は、原告は昭和一二年及び昭和一五年にそれぞれみわから不動産の贈与を受けているので、右特別受益額を遺留分算定の基礎となる財産の価額に算入するならば、本件遺贈は原告の遺留分を侵害したことにはならないと主張するので検討してみるに、≪証拠省略≫によると、原告は、婚姻前の昭和一二年に岐阜市日ノ出町一丁目一八番宅地二〇坪を、また昭和一五年に同町二丁目二番宅地一六坪八合をそれぞれ売買に因りその所有権を取得していることが認められるが、右取得は≪証拠省略≫によると、当時各種糸類の卸小売商を営んでいた実父訴外甲野清一が原告のために他から買い求めたものであることが認められ、証人竹田俊夫の証言中右認定に反する部分は措信せず他にこれを覆えすに足る証拠はない。

右認定のごとく、原告は前記各不動産をいずれも甲野清一から贈与を受けたもので、これがみわから贈与されたものであるとの被告の主張はその余の点につき判断するまでもなく失当であると言わなければならない。

してみると、他に本件不動産を除いては遺留分算定の基礎となる財産が存したことについて主張立証のない本件においては、原告がみわの直系卑属でその二人の相続人のうちの一人として本件不動産について有する四分の一の遺留分が本件遺贈により侵害されたことは明らかで、これを保全するのに必要な限度で右遺贈の減殺を請求する権利を取得したものと言わなければならない。

被告は原告の右減殺請求権は時効により消滅したと主張するのでこの点について判断する。

被告は本件遺贈は、公正証書遺言によりなされたものであるところ、右遺言は昭和三五年二月九日、原告も同席した会合の席上において発表されたので、原告は同日、減殺すべき本件遺贈のあったことを知ったと主張する。

ところで、はじめ原告は、右の頃、原告がみわの死亡によりその相続人として自己のために相続の開始したことは承知していた旨自白したが、その後これを撤回し、被告は右撤回につき争うので、まずこの点について判断するに、後記認定の事実からすると、原告は、みわの死亡当初より、同人の死亡により自己のために相続が開始したことを充分承知していたことが推認され、したがって前記自白の内容は真実に合致したものであるから、その余の点を検討するまでもなく、右自白の撤回は許されない。

≪証拠省略≫によると、原告は、甲野清一とことの間の子として出生したが、出生後間もなく、清一の後妻として迎えられたみわ夫妻の許において成育し、この間旧制女学校を卒え、昭和一一年一月、みわとの間に養子縁組を結ぶにいたり、その後婚姻したが、これに敗れてみわの許に戻り、おそくとも昭和三四年以降みわが死亡するまで同人と同一屋敷内に居住するようになったが、昭和三四年七月六日、本件公正証書が作成されるに当り、みわに付添って公証役場に赴いたこと、みわが死亡した二日後の昭和三五年二月九日、原告ら遺族、親戚の者らが被告方に会合した際、前記遺言が発表されたが、これに対し原告は、故人の意思であるから尊重する旨述べていること、≪証拠省略≫によると、原告は、みわの死後、右書簡を受取るまでの間において、次郎と、本件遺贈に関し、被告に対抗すべき方策につき協議し、次郎と共に或いは同人を通じて弁護士に相談していること、次郎は、右昭和三五年一〇月一三日、被告を相手方として岐阜家庭裁判所に対し、本件遺贈により遺留分を侵害されたとしてその保全を求める旨の家事調停を申立てたことがそれぞれ認められ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は≪中略≫措信せず、他にこれを覆えすに足りる証拠はない。

右認定の事実によると、原告は、おそくとも昭和三五年一〇月一三日当時、本件遺贈の減殺すべきものとなることを知ったものと認めるのを相当とし、したがって右遺贈に対する減殺請求権の時効はこの時より進行を始めたものと言うべきところ、原告が右減殺請求の意思表示をしたのはその後一年以上を経過した昭和三六年一〇月下旬であることは、原告の自認するところであるから、当時、右請求権はすでに時効により消滅していたものというべく、右意思表示は何等その効力を生ずるに由ないものであり、被告の前記主張は理由がある。

よって原告の本訴請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 梅垣栄蔵)

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